すみだ地域ブランド戦略とは

歴史に見るすみだの強み

明暦の大火後、南部は武家屋敷などの移転先となり、職人や商人も移り住み、日用品の製造販売を始めました。北部は農村地帯のままでしたが、隅田川一帯は江戸市民の絶好の遊覧地となります。現在まで続く墨堤の桜、両国の相撲、隅田川の花火も生まれました。 明治の近代化では、殖産興業政策により近代軽工業発祥の地となりました。関東大震災や東京大空襲により甚大な被害を受けましたが、戦後から現在も明治以降の蓄積をベースに、日用品や、各種部品などの生産がさかんです。

江戸

1600年〜明暦の大火を契機に江戸の一部に

狂歌絵本「絵本隅田川 両岸一覧」(墨田区蔵)※両国橋の賑わい
狂歌絵本「絵本隅田川 両岸一覧」(墨田区蔵)※両国橋の賑わい

1657(明暦3)年の明暦の大火は江戸をほぼ全滅させてしまいました。その後の防火対策中心の都市復興により、1659(万治2)年に隅田川に両国橋が架けられ、南部(本所)が武家屋敷などの移転先に選ばれました。一方北部は農村地帯のまま、江戸市民の食料供給地として歩み続けました。

 
1700年〜墨堤の桜、花火、相撲が始まり、北斎生誕

1717(享保2)年将軍吉宗が隅田堤に桜を植え、庶民の行楽地としました。1733 (享保18)年には両国の川開きとして、隅田川の花火が始まっています。1781(天明元)年には本所回向院で大相撲が行われました。赤穂浪士による吉良邸への討ち入りが起きたのは、1702(元禄15)年のことです。また、日本を代表する絵師の葛飾北斎は、1760(宝暦10)年、本所割下水(現在の亀沢)に生まれました。

1800年〜鋳物などで工業が始まり、百花園や勝海舟生まれる

隅田川や運河の水利を活かして、瓦・染色・材木・鋳物などの地場産業が発達しました。明治に入ると、本所では金属の玩具やガラス製造も始まりました。1804(文化2)年、江戸の粋人、佐原鞠塢(さはらきくう)が向島百花園を開園しました。また、「江戸無血開城」を成し遂げた、勝海舟が本所亀沢町(現在の両国3丁目)に生まれたのは1823(文政6)年のことです。

明治

1870年〜皮革・メリヤス・マッチ・レンガなど、産業の先駆

新燧社(しんすいしゃ)のマッチ 新燧社(しんすいしゃ)のマッチ
新燧社(しんすいしゃ)のマッチ

輸送路としての縦横の水路、本所側では武士の没落による人的資源の余剰、向島側では地価低廉が工業の導入を促進しました。浅草で発達した皮革業の移転、メリヤス工場の深川からの移転、我が国初のマッチ製造会社の創業、製瓦業者の煉瓦工場への転向が起こりました。

 
1880年〜日本随一の繊維工業の拠点、鐘淵紡績創業

鐘淵紡績
鐘淵紡績

1889(明治22)年隅田村に鐘淵紡績が設立され、操業を開始しました。我が国初のセルロイド製玩具工場が設立されたのも同じ年です。

 
1890年〜車輛、石鹸、時計、歯磨きなど、続々創業、鉄道も開通

「ライオン歯磨(小林富次郎商店)発売当時の新聞広告」
ライオン歯磨(小林富次郎商店)
発売当時の新聞広告

「桐箱入り花王石鹸」(明治23年発売)
「桐箱入り花王石鹸」
(明治23年発売)

錦糸町に我が国初の車輛製造会社が設立され、精工舎が本所石原町でクロック生産を開始します。芳誠舎(現玉の肌石鹸)、獅子印ライオン歯磨の発売や長瀬商店(後の花王)の工場移転もこの頃です。1894(明治37)年には総武線が開通しています。

1900年〜ゴム、自転車、ビール、印刷や軍装関係の工業地帯を形成

東洋ゴムの設立、宮田製銃所の自転車の設計・製造の開始、札幌麦酒東京工場の竣工、凸版印刷の工場発足はこの頃のことです。大田区周辺が銃器や精密機械分野を得意としたのに対して、墨田区周辺は日用雑貨関連の軍需軍装品が中心でした。メリヤス工業や皮革業が集中し、この傾向は現在まで続いています。

 

大正

1910年〜震災で大打撃だが、向島花柳界活況、文学の舞台にも

関東大震災(吾妻橋の惨状)
関東大震災(吾妻橋の惨状)

1923(大正12)年9月1日の大震災により、本所区の95%、5人以上の工場804が焼失してしまいました。その後大工場が郊外へ移転し、昭和に入ると本所区はメリヤス、紙製品、裁縫、玩具を中心に、中小企業の集積地となっていきました。向島には、第一次世界大戦の好景気もあって、向島の花柳界が活況を呈しました。向島をはじめとして、墨田区は、永井荷風の『濹東綺譚』など様々な文学作品の舞台となっています。

 

昭和

1940年〜軍需生産に傾斜、そして東京大空襲と敗戦

この頃より、軍需生産を優先とする経済の統制化が進み、工場は漸次軍需工場化していきました。しかし、1944(昭和19)年に空襲が始まり、1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲によって、本所区の96%、向島区の57%が焼失、そして敗戦を迎えました。

 
1950年〜朝鮮動乱特需で輸出増大、繊維、金属、機械を中心に生産活発化

1947(昭和22)年、本所・向島両区が合併して墨田区が誕生。朝鮮動乱特需景気はいわゆる 「糸へん(繊維関連産業を指す)」ブームを起こし、繊維産業をはじめ、金属や機械などの生産を活発にしました。

 
1960年〜高度成長期、都市化の進展

メリヤス工場(昭和40年代)
メリヤス工場(昭和40年代)

朝日麦酒吾妻橋工場(昭和42年)
朝日麦酒吾妻橋工場(昭和42年)

高度経済成長期に入り、都市化が進展しました。区内にもどんどんと工場は増え続け、1970(昭和45)年には9,703とピークを迎えました。

 
1970年〜大工場の移転、隅田川花火大会の復活

隅田川の花火大会
隅田川の花火大会

工場拡張等のため、大工場の区外移転が進みました。一方、地域を代表するイベントである隅田川の花火大会が復活し、数多くの人出を集めるようになったのもこの頃です。

 
1980年〜「小さな博物館」開設、両国国技館完成

すみだマイスター
すみだマイスター

すみだ産業会館やすみだ中小企業センターがオープンし、墨田区の産業施策が注目を集めます。1987(昭和62)年には3M運動の一環として「小さな博物館」が開設されました。両国国技館が完成し、相撲が蔵前から戻ってきたのは、1984(昭和59)年のことです。

 

平成

1990年〜再開発により、にぎわいあるまちに

国際ファッションセンター
国際ファッションセンター

1997(平成9)年に錦糸町駅北口で市街地再開発事業が完了し、日本屈指のコンサートホール・すみだトリフォニーホールがオープン、続いて両国に2000(平成12)年に国際ファッションセンター、2006(平成18)年には錦糸町にオリナスが完成するなど、新しい都市景観の形成が進んでいます。