originality
独自性

石宏製作所——一丁のハサミの先に、誰かを想う。

2025.10.10
東京スカイツリー開業のテープカットに選ばれたのは、ひとりの職人が丹精込めて仕上げた一丁のハサミだった。医療用ハサミをつくり続ける石宏製作所・石田明雄さんは、父の急逝、途方に暮れる日々、そして支えてくれた仲間の存在を経て、ついに自らの刃を世に送り出した。命を預かる医療の現場から、暮らしを彩る日常まで――その切れ味の先には、いつも「人」への想いが宿っている。

医療用ハサミに人生を懸けた職人の物語

2012年5月22日。東京スカイツリー開業を記念するテープカットに集まった人の中に、固唾(かたず)をのんでその様子を見守る人がいた。石宏製作所の石田明雄さんだ。視線の先はテープカットをする面々の手元。握られた裁ちバサミは、明雄さんがつくったものだった。

「そんな晴れ舞台で自分のハサミが使ってもらえるなんて、信じられなくてね。何かの間違いじゃないか……って怖くて、人混みから少し離れた場所からこっそり見ていたんです」

石宏製作所は日本で数少ない医療用ハサミの製造元。父で先代の宏美さんが1970年に創業し、その道一本でやってきた。医療用ハサミは輸入品が多く、国内で製作する職人はわずか。用途に合わせて様々な形状が必要なことから、製造元では常時数十種類を製作するなど、幅広く柔軟な技術が欠かせない。ひとりで製作所を切り盛りする明雄さん。納品先と納品物の予定を示した工場の黒板には、多種多様なハサミを示す言葉が並ぶ。

「医療用でも血管を切るもの、へその緒を切るもの、人の体の奥のほうまで届くようにすごく長く設計されたものなど様々。しかも、そんな場面に出くわすことって人生のなかでそうないでしょ? 自分がつくったハサミがどんなふうに使われるのか、見たことがないから大変なんですよ」と、困ったように笑う。それでも、鏡のように磨かれた刃面を見れば、どれほど丹精込めて一丁一丁をつくっているのかが分かる。

刃の研磨は最も気を遣う工程のひとつ。2枚の刃がぴったり噛み合わないと、切れ味のいいハサミはつくれない。

明雄さんが職人の道に入ったのは24歳。

自宅を兼ねた工場で、ハサミづくりに打ち込む父の姿を見て育った。「継がなきゃ」と思いつつも、高校卒業時には踏ん切りがつかなかった。

「手を動かすのは好きだったので、何かしらそういう仕事をやってみたいという気持ちはあったんです。そんなとき、ロゴマークを描いたり、文字をデザインしたりするレタリングの学校を見つけて、これは面白そうだと。父もまだまだ現役でしたから、とりあえず興味のあることをやってみようかなって」

卒業後は地図やグラフィックを線で描く版下製作会社に入社した。

「細かい作業が性に合っていたのか、楽しかったですね。例えば山手線の路線図を描くにしても、どうしたらより美しく、分かりやすくできるか、そこを突き詰めて考え、実際に描くのが面白かったな」

「そういう気質を職人肌というのでは? きっとお父さん譲りなんですよ」と言うと、照れ臭そうにしていた。3年ほど版下製作会社で働き退社。いよいよハサミ職人の修業に入ったのかと思いきや、行き先はなんとサイパン。いったい何が起きたのか?

10年越しに辿り着いた職人の技

明雄さんが手掛ける医療用ハサミ。刃の形状や持ち手の長さなど、用途によって多種多様。石宏製作所のように「日本鋼製医科器械同業組合」に加盟している工場は都内でもわずか、墨田区には2軒しかない。

「趣味でウインドサーフィンをやっていたんですけどね、仲間から、サイパンで3週間くらい合宿するから行こうよって誘われて。当時は24歳。ハサミの仕事はひと通りのことを身に付けるまで3年はかかるだろうと見積もって、帰国したら修業に入って30歳までには一人前になろうという算段でした。今思えば甘い考えでしたね」

ともあれ明雄青年はサイパンへと旅立ち、ウインドサーフィンを満喫。帰国後は約束通り父の下で修業に入った。

「思っていたより難しいというか、全然できなかったですね。ハサミづくりには刃となる鍛造品をハンマーで打ち付けて加工する作業や、高温で熱することでステンレスに強度を持たせる焼き入れ、研磨など色々な工程があります。最初は簡単な工程しかやらせてもらえなくて、つまらないなぁ……と思っていました」

ハサミづくりの工程で最も重要なのは2枚の刃の噛み合わせ。刃の内側にあたる「裏刃」をいかに均一に、滑らかに仕上げるかがポイントだ。

「もちろんそんな工程はやらせてもらえません。医療用のハサミは人の命に関わるものですから、なおさらです。削らせてもらえるのは持ち手の部分とか、刃じゃない部分ばっかり」

6年後、突然父が亡くなった。

「肝心な部分の技術を受け継がないまま父がいなくなってしまって、本当に途方に暮れました。見よう見真似でやってみても、もちろん切れるハサミはつくれない。これは廃業するしかないかなというところまで考えました」

自宅兼工場があるのは墨田区の最北、鐘ケ淵駅近く。下町風情が残る住宅街を歩いていると、明雄さんの工場と思しき家からハンマーを叩く音が聞こえた。「町工場」という言葉がぴったりの雰囲気。

「教えてあげるから、おいで」

そんな姿を見かねて手を差し伸べてくれたのは、同業の先輩だった。

「墨田区から先輩の工房のある中野区まで、数カ月通って教えてもらいました。ひとりではどうにもできなかったので本当にありがたかったです。それでなんとか自分でハサミをつくれるようにはなったのですが、最初の頃はちょっとした不具合で返品されることも多々ありました。人の体に触れるハサミですから、何かあっては取り返しがつきません。どうしたら父のハサミのように滑らかに動くのか、布団に入ってもそのことばかり考えて、よく眠れませんでしたね、あの頃は」

「ちょっと自信が持てるようになったのはスカイツリーができる少し前だから2010年くらいかな」と振り返る。先代が亡くなったのが1998年だから10年以上後のこと。それくらい、ハサミの道は厳しいということだ。

「気持ちに余裕ができると、家庭で使ってもらえるハサミをつくってみたいなと思うようになって。医療用のハサミは問屋を通して販売するので、利用者の声を聞くことがないんです。それで裁ちバサミをつくってみようと」

一丁の先にいる“人”を想って――暮らしを豊かにする新しいハサミづくり

上左/〈職人が大切な人に贈ったはさみ〉は、工具なしで簡単に2枚の刃を分解できる構造。上右/研磨中の明雄さん。研磨作業にはフェイスシールドが欠かせず、夏は重労働。下左/趣味はウインドサーフィン。下右/東京スカイツリー開業のテープカットでも使われた裁ちバサミも2011年に「すみだモダン」に認証された。写真のものは短刃タイプの裁ちバサミ。

そのハサミこそが、東京スカイツリーのテープカットで使われたもの。

ほとんど力を入れなくてもスーッと切れるハサミは評判を呼び、2011年に「すみだモダン」に認証された。その後は墨田区の「ものづくりコラボレーション」事業に参加。より普段使いできるハサミを開発した。〈職人が大切な人に贈ったはさみ〉と名付けられたハサミは、明雄さんが奥さまのために考えて、製品化したものだった。

「その頃はまだ子どもが小さかったんですけど、外出先で何か食べるとき、子ども用に小さく切ってあげたいのですが、プラスチックのフォークなんかではうまくいかない。子どもを抱っこしながら切り分けるとなるとより大変で。それなら持ち歩ける小さなハサミがあったら便利かなと思ったんです」

医療用ハサミの切れ味はそのままに、刃の先端に丸みを持たせたり、持ち手を使いやすい長さに調節したり、安全面や使い勝手に工夫を凝らした。

「食べものを切るとなると衛生面も気になりますから、2枚の刃を簡単に分解して洗浄できる仕組みにしました」

実際に使ってみると、2枚の刃が吸い付くようにスパッと切れる。

「チキンとか魚のちょっとした骨なら切れますよ。普段用はキッチンで使ってもいいかもしれません」とのこと。〈 職人が大切な人に贈ったはさみ〉も2016 年に「すみだモダン」に認証され、人気商品となった。現在、製造全体に占める一般用ハサミの割合は4割。人の命を救う医療用ハサミをつくる意義に加え、暮らしを豊かにするという新しいやりがいも感じている。

「こんな眉用ハサミが欲しいなど、個人の方から注文が入ることも増えました。小ロットでつくるのは大変な部分もありますが、それでも自分のところでと頼んでもらえるのは嬉しいですし、使った方から反応があるのは励みになります。今後はキャンプ用のハサミもつくってみたいなと思っています」

ひとり工場でハサミをつくり続ける日々は一見孤独だ。けれど、明雄さんは決してそうは見えない。丹念に削るその一丁一丁の先に「人」がいる。この人は、それをよく知っているのだ。

商品名:「職人が大切な人に贈ったはさみ」

すみだモダン2016ブランド認証商品 / ものづくりコラボレーション2015開発商品
子育て中の妻の悩みを解消したいという想いから誕生した〈職人が大切な人に贈ったはさみ〉。プロデュースはアッシュコンセプト株式会社の名児耶秀美さん。手のひらサイズの「携帯用」と、台所でも使いやすいサイズの「普段用」も。

Company Data
石宏製作所Ishihiro Manufacturing Co., Ltd.
ADDRESS: 東京都墨田区墨田5-48-10
TEL: 03-3614-3292
Text: Yuriko Kobayashi
Photo: Akane Nogawa
Edit: Kazushige Ogawa / Hearst Fujingaho
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