刷毛と共にブラシづくりを進化させる
――宇野刷毛ブラシ製作所の始まり
ブラシに関して、歯ブラシやヘアブラシ、そして掃除ブラシなど、私たちの生活にはブラシが欠かせない。現在、一般に売られる多くブラシは機械でつくられたものが中心だが、墨田区には「手植えブラシ」の伝統技術を守り続ける職人がいる。宇野刷毛ブラシ製作所の宇野千榮子さん、三千代さん親子だ。
社名を見ると「ブラシ」だけでなく、「刷毛(ハケ)」の文字も並ぶ。その理由は日本のブラシの歴史との関係が深い。日本でブラシが生まれたのは明治時代。フランス製のブラシを手本に製造した「洋式刷毛」が出発点だ。製造に携わったのが刷毛職人だった。
宇野刷毛ブラシ製作所も初代は刷毛職人だ。創業は1917年。そこからしばらくは刷毛の製造に携わり、弟子を雇って職人を育てていたが、1950年代には時代の要請に応じて刷毛とともにブラシの製造も開始した。
1964年に二代目が継いでからは、家業は刷毛だけではなく工業用ブラシの需要が高まってきた。もちろん、刷毛もその伝統的製造方法で現在も受け継がれている。これが社名に「刷毛」と「ブラシ」が共存するゆえんだ。
「二代目だった父は、工場の現場で使うブラシや産業機械の中に取り付けるブラシを中心につくっていました。そこでは、お客さまの用途に応じて素材選び、つくり方も考えながらオーダーメイドにも対応していました」と三千代さん。
四代目・三千代さんの挑戦と
新しい発想
宇野刷毛ブラシ製作所に新たな風を吹き込んだのは、四代目の三千代さんだ。家業に加わったのは20年ほど前。当初は修業に徹したが、技術を身に付けてからは新たなアイデアに挑戦していく。
「すみだモダン」にも応募を重ね、いくつも認証を受けている。
最初に認証されたのは、2012年につくった〈静電気除去ブラシ〉。静電気除去繊維をブナの台座に手植えしたブラシで、これは以前、実は二代目がつくったものがベースになっている。
「私自身も使っていて、いいなと思っていたんです。今は電子機器に囲まれた生活でしょう。だからこそ、多くの人に知ってもらえたらと思って、販売できるように整えたんです」
東京都のプロジェクト「東京手仕事」で、デザイナーの馬淵 晃さんとつくった〈Animal Brush - アニマルブラシ〉も自信作。馬やヤギ、豚などの天然毛を使用し、持ち手を見れば、どの動物の毛が植え込まれているか分かるようになっている。手のひらサイズの動物のフォルムが愛らしい。こちらも2016年の「すみだモダン」認証商品だ。
同じく「東京手仕事」でデザイナーの春名麻衣子さんと開発した〈雅ブラシ〉は、「ベストオブすみだモダン」にも選ばれている。馬の尻尾のなかでも特に柔らかい産毛だけを使用することで、繊細な洋服や家具などを傷つけない。一般的な洋服ブラシにはよく馬の毛が使われるが、産毛を使うのは珍しい。カシミヤなどの繊細な服を着る人が増えた現代のライフスタイルに合わせて商品づくりができるのは、素材を知り尽くしているからこそだ。
このブラシの持ち手は、欄間(日本の建築様式にみられる建具の一種で、採光・通風・装飾といった目的のために天井と鴨居との間に設けられる開口部のこと)などの建具をつくる組子職人に依頼し、縁起のよい吉祥文様を取り入れた。
さらに海外のデザイナーと商品開発をする「SUMIDA CONTEMPORARY - すみだコンテンポラリー」にも参加。スイス出身のデザイナー、カルロ・クロパスさんと協働し、スマートなデザインのブラシも製作した。
三千代さんは四代目として、刷毛および手植えブラシの伝統を守ると同時に、現代的な視点も軽やかに取り入れた。そうしてまったく新しい、時代にフィットしたブラシを生み出していく。このバランス感覚が、宇野刷毛ブラシ製作所の強みだ。
母から娘へ受け継がれる
職人の感覚と素材選び
同社の刷毛、そしてブラシは、今も昔もすべて小さな工房から生まれる。母と子が背中合わせで座り、それぞれ黙々と手を動かす。取材で訪れたときは、三代目の千榮子さんが〈雅ブラシ〉の毛の植え付けを行っていた。何気なく毛束をつまみ取って植え込んでいるように見えるが、そこにも職人の鋭い感覚が生きている。
「こうやって、つまむでしょ。そしたら量が多いか少ないか、すぐ分かる。指の腹の感覚で覚えているからね。多いなと思ったら、わずかに戻す。ちょっとでも多かったら、絶対に穴には入らない。逆に量が少なくても、穴に収まらずに奥から抜けてしまうしね」
「引き線」と呼ばれるステンレスワイヤーを二つ折りにして木地の穴に通し、そこに毛を挟んで植え込んでいく。この作業を一穴ごとに繰り返す。手植えは一本の引き線でつながっているため、一穴ごとに毛を植え込む機械植えと違って毛が抜けにくく丈夫だ。
一方で、創業以来の刷毛の多くは、毛ごしらえをし、毛先を揃えて束ねて綴じる「綴じ刷毛」の技でつくられる。木地に穴を開けて毛を植える手植えブラシとは構造も工程も異なるが、毛の量や締め具合を指先で見極める感覚は共通しており、刷毛もまた同社のものづくりを支える大切な柱であり続けている。
〈雅ブラシ〉には馬の毛を使うが、天然毛といっても動物によって違う。
「馬の毛だって部位によって質が違う。例えばボディブラシにも、柔らかい鬣(たてがみ)と、太くてしっかりとした尻尾の毛を使い分けます。馬の種類によっても毛の硬さが異なるので、使う人が好みで選べるようにいろいろ用意しています。豚の毛は馬より硬くて腰が強いので、靴ブラシや爪ブラシに使いますね。柔らかくてしなやかな肌あたりのヤギの毛はフェイスブラシに。剛毛な猪の毛はヘアブラシに使います」
肌に触れるブラシはどれも天然毛と決めているそうだが、ブラシの用途によってはナイロン繊維なども使用する。常に使う人にとって最適な素材を選ぶ――それが一番大切なことだそうだ。持ち手となる「木地」も一見すると同じようだが、ひとつひとつ選ぶ理由がある。〈雅ブラシ〉の木地に檜(ヒノキ)を選ぶのは、「肌触りがよくて軽い。長く使うと木の色が鮮やかに出てきますから」と千榮子さん。インテリアとしての美しさまで想定して木を選んでいる。ほかにも採用する木の種類は、目的によってさまざまだ。
「お洋服を手入れするときは、あんまり重いと大変でしょ? だから、洋服ブラシには軽くて手触りがいい桂(カツラ)を使うことが多い。ボディブラシみたいにお風呂の中で使うものは、水はけがよくないとカビてしまうから朴(ホオ)を使うし」
「こういう材料でも、値段はピンからキリまであるの」と千榮子さん。「初代である父からは、『同じ時間かかるんだったら、いい材料を使いなさい』と言われましたね。『そのほうが長く喜ばれるから』って」
この言葉を今も守り続ける。
工芸品としてのブラシを未来へ
三千代さんに、材料の見極め方や扱い方を教えたのは千榮子さんだった。同時に父が伝えたのは刷毛、そしてブラシづくりの基本だった。
「毛を植える穴の位置や植える密度、どのくらいの丈に仕上げるかで、使い心地は大きく変わります。道具をどうすれば使いやすく、どうすれば効果を出せるか——その基本を父から学びました」
両親の仕事を子どもの頃からそばで見てきた三千代さんは、自社の刷毛とブラシの真価とともに、確実に現場の期待に応える家業の技術力を誇りに思ってきた。「うちの刷毛とブラシはいいものなんだ、っていう自信があったんです。だから、その魅力をもっと知ってもらえたら」と、三千代さん。その想いは、現在の宇野刷毛ブラシ製作所のものづくりの基盤となっている。
「刷毛やブラシって、使ってみないとそのよさが分からないでしょう。だから興味を持ってもらえる方、使ってみたいなと思ってもらえる方を増やすためには、目に留まる商品をつくらないと――そう思ったから、商品開発を始めたんです」
価格や使い勝手を考えると、刷毛やブラシはシンプルなほうがいいのかもしれない。「でも、それだと素通りされちゃう可能性も高いからね」と三千代さん。
「まずは足を止めてもらって、使ってもらって、もののよさを知ってもらうことが出発点。私たちの時代は手軽なものがメインになって、工芸品が選ばれなくなってきた。でも私は、工芸品が大好きです。手仕事のものって、つくりがしっかりしていて長く使える、愛着が湧くものが多いでしょう。それを知ってもらって、『大事に使ってもらえたらいいな』って思うんですよ。だから、一般の方々の多くが日常に使用しているブラシから、うちの商品の魅力を伝えたいと思って挑戦し続けていきます」
商品名:「雅ブラシ」
手植えブラシと組子細工、ふたつの伝統技術がひとつのブラシに集約した。組子細工の文様は、 写真の「麻の葉」「格子」「枡つなぎ」の全3種類。どれも吉祥文様――魔除けや繁栄を意味した縁起のよい柄だ。
Photo: Kasane Nogawa
Edit: Kazushige Ogawa / Hearst Fujingaho