「ちょっとこれに名刺を入れてごらんなさい」
老舗レザーメーカー、二宮五郎商店で名刺交換をすると、代表の二宮眞一さんが自社でつくった革の名刺入れを差し出した。言われるままに自分の名刺を差し入れてみたら、なんともいえない気持ちのいい感覚。
「マチの部分をよく見てください。普通の名刺入れはマチが内側に折り込まれているけど、これは外側に折れているでしょう。マチを内側に折り込むと名刺入れの幅より内部の寸法が小さくなってしまうから、中に入れたものが引っかかってしまうんです」
たしかに、マチが内側に折れていると逆「く」の字のようになって、名刺を入れるスペースが食われてしまう。今まで何の疑いも持たずにいたけれど、マチの部分が外側に折れることで、これほどまでに使用感が違うとは。
と、ここで疑問が湧く。こんなに革新的な構造があるのに、なぜ世の名刺入れや札入れの多くは、いまだにマチを内側に折り込んでいるのだろう?
「こうしたマチの構造は『風琴マチ』と呼ばれますが、内側にマチを折り込む一般的な『蛇腹マチ』より格段に高い技術が必要になるんです。だから便利だと分かっていても、おいそれとつくることはできないんです」
二宮五郎商店は1946年の創業以来、70年以上にわたって高品質のレザー製品をつくり続けてきた。最新の設備を導入しつつも伝統的な職人技の重要性を忘れず、両者のよさを融合させることで国内外から高い評価を得る商品を生み出している。
手掛けるのは小物やバッグ、ベルトなど幅広い。自社のオリジナル商品はもちろん、世界的ブランドのOEMも請け負っている。
そんな二宮五郎商店の代名詞と言えるのが「風琴マチ」技法。日本独自の伝統技術を40年以上継承し、現代的なデザインに落とし込んできた。
「『蛇腹マチ』の名刺入れなら1日に1個つくれるが、『風琴マチ』は3日かかる」と眞一さん。工程を見ると、その理由がよく分かる。
例えば肝となるマチの部分は、ごく薄い革2枚を糊付けしてパーツをつくる。サイズは指先ほどだというのに、寸分たがわず貼り合わせる職人の技術に驚く。
次はマチの形に合わせて「く」の字形に折り曲げ、金槌で叩いて折り目をつける。職人さんいわく「マチを折り込んだ状態で厚さが0.3㎜以上になると名刺入れや財布に膨らみが出てしまう。ここでキチッとつくらないと商品にならないんです」
コンマ数ミリの違いが微妙な感覚の違いを生み出す世界。そこにこだわり抜いているからこそ、二宮五郎商店の商品は一度使ったら忘れられない気持ちよさがあるのだ。
「例えば長財布の場合、『風琴マチ』の技法を使えば全体のサイズを小さくできるうえ、厚さも抑えられます。だからほら、パンツのお尻ポケットに入れてもスマートでしょう。財布や名刺入れは毎日使うものですから、佇まいの美しさはもちろん、実用的であることも欠かせないと考えているんです」
どんな商品をつくるにあたっても眞一さんの頭にあるのは使う人の側に立った気持ち。オリジナルアイテムはすべて自ら最低半年は使用し、少しでも違和感があれば調整する。
「納得いく使用感が得られたら商品化しますが、それが完成というわけじゃない。本当の完成とは、それが誰かの手に渡って愛され、育っていったとき。その人だけの風合いや味が出て、より愛着が増してこそ、"一生もの"という完成形になるのだと思います」
誰かの人生に寄り添うものだからこそ、徹底的にこだわり抜く。眞一さんの精神は若手からベテランまで、製品づくりを担う職人たちにも自然と浸透している。工房に漂うピリッとした緊張感は、自らの手が担う大きな責任を各々が自覚している証しだ。
「職人のなかには 20代の若手もいます。最初は革の糊付けや折り返しなど基本的な作業から始めますが、ベテランの指導のもと、徐々に技術を磨いていきます。最終的にはひとりの職人が裁断や縫製、仕上げまですべての工程を手掛けられるようにするのがうちのやり方。分業制にしたほうが効率が上がるかもしれませんが、それだとそれぞれの工程を担当する職人が完成時のイメージを持てない。多少時間はかかっても、ひとりの職人が全工程を手掛ければ、どんな小さな作業でもブレがなくなるんです」
時代が移り変わっても常によい商品を生み出す職人の"手"。加えて二宮五郎商店のものづくりを支えているのは、素材となる革を見極める"目"だ。
「うちで使う革はすべてフルオーダーのオリジナル仕様。規格品は一切使用せず、商品の使い道や顧客の要望に応じて最適な革を選ぶところからがスタートです。革といっても牛や羊、ヤギ、豚など様々ありますし、選ぶ部位やなめし方によっても風合いは格段に変わります。新品の状態の風合いはもちろんですが、使っていくうちに生まれる味も考慮に入れて選びます」
アトリエには壁一面に多種多様な革のストックが。鮮やかなもの、ナチュラルなものなど、色も豊富だ。最近は一般的な化学薬品を使ったクロムなめしに加えて、植物から抽出したタンニンを使ってなめしたナチュラルな革も積極的に使っている。
「今使っている植物タンニン100%の豚革は墨田区の山口産業さんがなめしているものですが、国産の食肉用豚の皮を有効活用しています。今後は豚の飼育環境にも配慮し、よりサステナブルな原料皮を生産できるよう、私たちも一緒になって活動していきたいと考えています」
100%植物タンニンでなめした革を使った「やさしい革」シリーズは名刺入れやスリッパ、バッグなどをラインアップ。無染色ならではのナチュラルな色と優しい風合い、時間を経るごとに変化する表情が最大の魅力だ。
「クロムなめしの革は日焼けしにくいのですが、植物タンニンなめしの革は日焼けしやすいのが特徴。売り場に商品を並べている間に色合いが変化してしまうので、OEMの商品などにはまだ多くは使えませんが、私たちはその経年変化を魅力と捉えてオリジナル商品を展開しています。例えばこのスリッパ、最初は薄いベージュですが、だんだんと色が濃くなって、いい味が出てきているでしょう?」
使用前と使用後を見ると一目瞭然。変色具合も使い方や経過時間によって異なるというから、まさに自分だけの革を"育てる"感覚があっていい。
「もちろん商品によってはクロムなめしの革のほうが向いている場合もありますから、そこは臨機応変に。時代とともに革に対する価値観や考え方は刻々と変わっていきます。それに合わせて常にベストな選択をして、最高のものをつくっていくだけ。その姿勢はこれまでと何も変わりません」
「風琴マチシリーズ」以外にも、折り紙のように1枚の革を折りたたんで使える書類ケースや名刺入れを展開する「KAWA-ORIGAMI®」や、古典的な和柄である「網代」の編み込みをプレスで再現した「網代編みグレイン」などのシリーズを見せてくれた眞一さん。
"ニッポンらしさ"にこだわった表現もまた、二宮五郎商店を支える魅力のひとつだ。「日本」と「世界」、「伝統」と「革新」。
一見、相反するものを融合し、常に斬新なプロダクトを生み出し続けてこられたのは、時代が変わっても決してブレない、「常にそのとき最高のものをつくりたい」という、眞一さんと職人たちの熱い想いがあったからにほかならない。
Photo: Kasane Nogawa
Cooperation: Hearst Fujingaho