これまで誰も見たことのないような美しく精巧な製品を生み出す会社
3.1415926535・・・・・・黒地のTシャツにびっしりと並んだ数字は円周率だ。プリントの柄で、ここまで繊細なものを見たのは初めてだ。極小の数字は、そのひとつひとつがくっきりとしていて、十分読み取ることができる。
「円周率をプリントしたTシャツを見かけることはありますが、だいたい1,000桁くらいの商品ですね。でもこれは50,000桁あります。ルーペで見てもちゃんと全ての数字を読むことができます。うちの職人は手刷りで何枚でも量産できます」
「ADP」は、シャツやトートバッグといった布製品へのプリントを主軸に、複写や製本事業も行う印刷会社だ。シルクスクリーンプリントを筆頭に、ポリエステル繊維を直接転写で染める昇華プリント、生地に直接インクを吹き付けるインクジェットプリント、フィルムに施した図柄を圧着する熱転写プリントなど、さまざまな方法の印刷が可能だ。
冒頭の円周率Tシャツは、高精細シルクスクリーン加工でプリントしたもので、経験豊富な職人の技術でないと刷ることができないという。
代表取締役の三ッ井清明さんが続ける。「線が細くて繊細なもの、画数の多い文字などは、普通のシルクスクリーンプリント屋さんであれば、文字が潰れてしまうのでできないと断るかもしれません。あるいは1枚だけなら刷れるかもしれません。ですが、これは芸術品ではないのです。均一な品質のものを大量に作れなければ意味がありませんから」
高精細シルクスクリーン加工には、印刷に適切なスキージー(ヘラ)を選び、適切な角度を保って上から下まで同じ印圧で刷ることができる技術が必要だ。ADPの強みは、こうした技術をもつ熟練の職人が複数人在籍していることにある。
近年、インクジェットプリンターの性能が向上し、それが普及したことによって、誰もがボタンひとつで均一なプリントTシャツを作れるようになった。しかし、精巧で美しい仕上がりを求めるならシルクスクリーン印刷、なかでも高精細シルクスクリーン加工を使った印刷にはかなわない。
ADPの本社兼プリント工場は、すみだに生まれた世界的芸術家を記念した「すみだ北斎美術館」の筋向かい、「北斎通り」沿いにある。
黒板の外壁とナチュラルな木枠の扉の組み合わせが目印で、スタイリッシュな外観だ。広さは220坪、建物の中には昇華プリントのほか、インクジェットプリントや転写プリント、紫外線を照射してインクを乾燥させるUVプリントなどの設備が揃う。
主力のシルクスクリーン印刷は埼玉県の三郷、千葉県の松戸、京都府の久御山の3拠点で行っている。三郷と松戸ではそのほかに縫製が、久御山では、染料を分解し脱色することで模様を表現する「抜染(ばっせん)」や子供服へのプリントが可能で、多様化するオーダーに最適なプランを提案し、きめ細かく対応している。
用途ごとに最適なプリンターを所有し、特殊なインク使いにも精通しているため、同社ではつねに新しいプリント方法を開発している。また、従来のプリントと素材の斬新な組み合わせにより、これまで誰も見たことがないような製品を生み出すことにも余念がない。
一度手にしたらずっと大切に着続けたいと思えるほど特別なものを作ることで、愛着を感じてもらい、長く楽しんでほしい――こうしたADPの服作りは、アパレル業界としてのサステナブルの取組にもつながっている。
Tシャツプリントとの運命的な出合い
ADPは1999年、前身となる会社が2つに分社し、複写コピーや製本を行う会社として再スタートを切ったことから始まった。しかし現在では、扱う仕事の約9割がアパレル関連のプリント事業だという。
同社はどのようなことからTシャツプリントという事業をスタートしたのだろうか。
「きっかけは私が経理にいたときの勉強会でした」と三ッ井さん。
入社以来、三ッ井さんは印刷現場から始まって、営業や総務、人事など、あらゆる部署を異動し、ゼネラリストとしての経験を積んでいた。ちょうど10年が経ち、経理で働いていたとき、社内の勉強会でTシャツプリントの存在を知ったのだという。
「当時は会社の業績がとても悪かったため、自分は経理でしたが何か売り上げで貢献することができないかと考えていた頃でした。Tシャツプリントに興味をもった私は、電話帳を頼りにそういった会社を探しては勉強をさせてもらったり、ショップへ行ったり、その設備を作っているメーカーを訪ねたりと、1年ぐらいリサーチをしました。さまざまな印刷方法があるなかで、会社にあるカラーコピー機にあと20万円分のプレス機を買い足せば、転写プリントであれば作ることができるという結論に至ったのです」
三ッ井さんは早速稟議書を書き、会社の承認を得たうえでTシャツプリント事業をスタートさせた。
「Tシャツプリントの店舗は原宿にありました。店頭にTシャツを飾っているだけで、自然とお客さんが来るようになり、注文はどんどんと増えていきました。昼間は会社で経理として帳簿をつけ、夜間と土曜日や休みの日にお店に行き、1人で注文をさばいたり、プリントしたりという生活を10年以上はやっていたと思います」
前身の会社が業績不振により解散したのはそんなときだった。
「元々の会社は170人ぐらいいたのですが、1999年に僕らが再スタートしたときは20数名になっていました。スタート時は転写プリントだけだったのですが、そのうちシルクスクリーンプリントやインクジェットプリント、昇華プリントと選択肢が増え、だんだん自分のところだけでは対応しきれなくなっていました」
そうした仕事を引き受けたときは、注文に相応しい技術をもつ工場に外注していたという三ッ井さんだが、あるときその外注先の社長から、廃業するという話を聞いた。
「そのときに『では僕が引き継いでもいいですか』とお話ししたんです。それが今の三郷工場です。実は全く同じタイミングで、 同じ埼玉県内で腕のいい職人さんがいるという情報を別の取引先から聞きました。そこで休みの日にその人に会いにいったところ意気投合して、一緒に仕事をすることになりました。それが今のうちの専務です。もう17、8年ぐらい前のことだと思います」
三ッ井さんは当時のADP社長に相談をし、M&Aのような形で事業を吸収してもらったという。
当初会社は千駄ヶ谷にあったが、その後亀沢1丁目に移転、数年で手狭となりたまたま空いていた現在の2丁目に移転、敷地を広げ、設備を強化していった。
「コピー製本とTシャツプリントの売り上げが逆転したのは2015年。今では売り上げの9割がアパレル関係になりました。紙のほうの印刷業はずっと厳しい状態が続いているんですよね。大きいところはどんどん大きくなり、小さいところは淘汰されています。うちはたまたま切り替えができていたので、同業者からは『良いタイミングで業種転換しましたね』とよく言われます」
サステナブルファッション商品化の取組
ADPがサステナブルファッション商品の取組を始めたのは2021年のことだ。
「当時出展していた展示会の隣でサステナブルファッションの展示会が開催されていました。そちらは大盛況で、需要の波がきていることを感じ、当社でも取組を始めることにしたのです。ファッション業界が世界第2位の環境汚染産業とされていることも知っていました」
まず初めに作ったのが古着をリメイクした「サステナブルシャツ」だった。ヴィンテージ着物(左身頃)と再生ポリエステル(右身頃)を組み合わせ、シャツとして仕立てた商品。
「ところがこのサステナブルシャツ、いいねと褒めていただくことは多かったのですが、なかなか売れませんでした。このまま続けていいものか悩み、サステナブルファッションというテーマで作った事業計画を、東京都の中小企業振興公社の取組である事業可能性評価事業に見てもらうことにしたのです」
結果は可能性あり、という評価だった。
「第三者の、しかも専門家の方々にそうした判定をいただけたので、やはり続けていこうということになりました。そのときの評価には、単独での事業は難易度が高いけれど、区内の事業者と協業して取り組めば可能性が高まるということが書いてあったのです。そこで、何度かお仕事をしたことがあり、Facebookでもつながっている『すみだクリエイターズクラブ』の三田大介さんに相談に行きました」
三田さんは、墨田区発の地域連携型の福祉プロジェクト「すみのわ」のコーディネーターでもある。「すみのわ」は、墨田区内の福祉事業所で障害のある方が作る商品の開発や製造、販売を、地域のリソースを生かしながら地元のクリエイターが支援する、地域連携型福祉プロジェクトだ。三ッ井さんはそのとき、「すみのわ」の支援する福祉事業所「亀沢のぞみの家」でのワークショップから生まれた商品を見せてもらった。スポンジやたわしを使って絵の具で描く「感覚刺激ワークショップ」。そこから生まれた絵は色鮮やかで力強く、美しかった。この絵を使ったくるみボタンのバッジを見た三ッ井さんはとても感銘を受け、この柄でアロハシャツを作ったら、とても素敵なものができそうだと考えた。
「それで三田さんにこの絵を使わせていただきたいとお願いしたのです」
当時は自社でアロハシャツを縫製できる体制がなかったこともあり、この絵を使った「感覚刺激Tシャツ」の商品化が決まった。
その後に出展したサステナブルファッション展では、着物をリメイクしたアロハシャツに感銘を受けた来場者から、京都の丹後縮緬(ちりめん)の繊維組合を紹介される。B反という少しだけ傷が入った縮緬の行き場がなくて困っているという話で、この生地を特別に分けてもらってアロハシャツを作る取組もスタートした。
「それが、『北斎アロハ』です。ここが葛飾北斎ゆかりの地だからといって、北斎の絵を使うのは何かとても安易な気がして、それだけは絶対にダメだといつも言っていたのですが、なぜかわかりませんが今回はやってみることに。いざ作ってみたら、生地が良質なこともあってとてもいいものができてしまったんです。アハハハハ!」。三ッ井さんは照れ臭さを隠すように大笑いした。
「職人が刷る工程が見られる小売店」を作りたい
これら3つのサステナブルファッション商品は、「クリエイティブな発想とサステナブルな製法で、独自のアパレル製品を製造する活動」とともに、2023年度の「すみだモダン」のブランド認証を受けた。
「規格外の高級縮緬や中古衣料の活用のほか、障がい者アートの採用等、独自性が高くクリエイティブな発想にあふれる商品の製造で、ファッション産業による環境負荷の軽減へのチャレンジという新しい価値を伝え、業界や他事業者へポジティブな刺激を与えうる」と評価されてのことだった。
認証を受けたことは大きな自信につながったと三ッ井さんは言う。
「区のバックアップ体制を得られるということで、何かしら売れるきっかけになるかもしれないと思いましたし、実際に丸の内のKITTEや渋谷のMIYASHITA PARK、羽田空港など、商品を置いてくれるところが少しずつ増えていきました」
ADPは、サステナブルファッション商品を売り出す少し前に、Jogtubeというブランドを立ち上げ、ランナー用のスポーツマスクを製作したことがある。
きっかけはコロナにより、突然売り上げが半減してしまった2020年4月のことだった。「これはなんとかしなくてはいけない」。マラソン通勤をしていた三ッ井さんは走りながら考えた。
「ある日たまたまYouTubeでノーベル生理学・医学賞を受賞し、自身もランナーである山中伸弥教授が『ランニング中は飛沫が飛ぶのでマスクをしてください』と話しているのを見たのですが、翌日走っていると、マスクをしているランナーを多く見かけました。それまでより明らかに増えていたのです。こんなに早いのかと驚きました。そこからすぐにマスクの開発を始めたのです。開発にはすごく手間と時間をかけました。2000キロ以上自分で走り、他社のマスクを試しては、より良いものを作るために改善を図るのです。うちのマスクが絶対に1番だ、と思えるところまで頑張りました。そうするとお客様から直接感想が来るんですよ。『素晴らしいです』と言ってもらったときは感動で震えました。売り上げは大したことがなくても、すごく嬉しくて、これが小売か、と毎日感動ですよ。悪い意見を書かれたときはどこが悪いんだろう、直さなくちゃと」
そのときにたくさんのことを学んだと三ッ井さんは振り返る。
「僕たちはずっと下請けをやっていて、入ってくる仕事をやっているだけだったのですが、マスクは小売をしなくてはなりません。クラウドファンディングとか、プレスリリースとか、飛び込みや電話セールスなどをたくさん経験しました。コロナが明けてもうマスクが売れなくなった頃、この小売の経験を何かしら継続していきたいという考えからサステナブルファッションへの取組が始まったのです。ところが小売は難しくてなかなか販売につながらず、最近は少し値段を下げて卸として小売店に買ってもらっています。経験が浅いため、これから少しずつ小売のノウハウを積んでいかないとと思っています」
同社では今、水着の残反を使ったボクサーパンツも販売している。
「生地はイタリア製のものがあったりと、結構いいものなんですよね。通気性も機能性もあり、はき心地も最高です」
三ッ井さんによれば、発想はつねに湧いてくるので、真似されたとしても全く気にならないという。
特許は1つとっており、「スナッピ」という商品だ。型紙に直接絵を描いたり、写真や葉っぱなどを直接貼り付け、ADPに送る。それだけで、デザイン専門アプリの操作ができない人でも自分だけのTシャツに仕立ててくれるというものだ。この一連の流れで特許を取っているという。
「技術的にはもう、こういうところまで来ているんですよ。朝注文をもらえれば、夕方には1枚ぐらいだったら、その人のオリジナルのものを作って、お渡しすることができるんです。もう30年以上もこの商売をやっているので、ワクワクする仕事を作っていきたいですよね。実際に考えたことが形になってゆく過程も楽しいですが、やはり1番は何かを作ってお客様に評価されたときです。それはもう最高で、背中に電流が走りますよ(笑)」
ADPの仕事は、現在そのほとんどがOEMだが、三ッ井さんはまず、卸を成功させてゆくゆくは小売をやりたいと力強く語った。
「この本社、今は設備でいっぱいなのですが、2024年5月から稼働した松戸の新工場に少し設備を分散すれば、店舗スペースがとれると思います。店舗があればお客様の生の声を聞いたり、その感覚を知ることができるようになるでしょう。また、私にはシルクスクリーンプリントというものをもっと世の中に知ってもらいたい、という思いが以前からありました。プリントTシャツがどのように作られるかを知っているお客様は決して多くはないので、職人がシルクスクリーンを刷っていて、その技術を間近に見ながら、隣で買い物ができるようなショップを、いつか作りたいと考えています」
Photo: Sohei Kabe
Edit: Katsuhiko Nishimaki / Hearst Fujingaho