先ほどまで朗らかに語っていたその人の表情が、きりっと締まった。右手に金槌、左手に持つのは「鏨」。先端に模様が施された鋼鉄製の工具だ。これを金槌で叩きながら、真鍮の板に模様を打ち込んでいく。
鏨職人の塩澤政子さんは1941年創業の塩澤製作所の二代目。初代の父、幹さんは神輿や神社仏閣の錺金具をつくる職人だった。過去80年の間に請け負った神輿は、浅草の三社神輿や深川の神輿など約500基にのぼる。政子さんは子どもの頃から家業を手伝ってきた。
小さな工房には父から受け継いだ木の切り株の作業台が置かれ、その周りを工具が取り囲む。政子さんが座る場所から手の届く所には、年季の入った小物用の引き出しがあった。
「ここに鏨をしまっています。数は1500本くらいかな。ちょっと分かんないけど、だいぶありますよ。今もどんどん新しい鏨をつくっているので」
どの引き出しを開けても鏨がぎっしりと詰まっている。菊や桜、七宝など、完成した模様のものもあれば、ただ曲線を施したような鏨もある。これらは波や蔓などのパーツ。青海波や唐草などの柄は、それらの鏨をひとつずつ打ち込むことで形づくられる。「点」のみが施された鏨も大きさ違いで揃う。
「模様を打つと板が暴れちゃうことがあるから、この『魚子』という点で隙間を埋めていくんですよ」
小さな隙間に微細な点を打ち込み、金属の板を平らに整えていく。気が遠くなるような、緻密な工程ばかりだ。
「これ、肌が荒れてる鏨があるでしょう。空襲の焼け跡から掘り出したものなの。ちょうど家が焼ける前日に私たちは疎開して、そのときに母が荷物をまとめておいてくれたから見つけ出せたもの。一度焼けたせいで金属がなまっちゃって。もう一回、焼きを入れ直したらまた使えるようになった」
すべての鏨が塩澤製作所の財産だ。鏨は何度も打ち込むと打つ部分がすり減るため、全体が短くなっていく。そうなったらまた根元を継ぎ足す。そうして直しながら大事に使い続けてきた。
政子さんが家業の中心を担うようになってからは、鏨で装飾した鈴の根付やマグネット、箸置きなど身近な小物をつくるようになった。
「子どものときから自分で欲しいものを工房でつくっていたの。つくり方は両親の見よう見真似だったけど、銀や真鍮の材料はあったし、糸鋸を使えばどんな形にでも切れた。ペンダントとか根付とかもつくっていましたよ」
子どもの頃から伝統技術を身近に感じてきた政子さんにとって、鏨でつくった小物を商品にしたいと思うのは自然な成り行きだった。
「お神輿って、町内会とか公共のものでしょう。神社の錺金具もそう。私としては、より身近に錺金具を楽しめるもの、身に着けられたり、日々使えたりすればいいなって思ったの」。そう言って腕時計を外して見せてくれた。ベルトには七宝模様が刻まれている。
「もともとこの時計は革のベルトだったの。革って、汗をかくとボロボロになっちゃうでしょ。でもなかなか買い替えに行く暇がなくって、ある日『そうだ!』って、つくっちゃった!」
「買いに行くより早かったわ」とおどけつつ、誇らしげな政子さん。
この日の髪飾りには神社の釘隠しの六葉の図柄が使われており、身に着けていたマスクには神輿の錺金具に用いる鳥がモチーフの小さなチャームが揺れていた。
神輿の錺金具は現在も請け負っているのかと尋ねてみると、「もうお神輿はダメなの」という答えが返ってきた。
「父がいるときはよかったんだけど、女性の職人じゃ神輿の仕事を受けさせてもらえないから」。
女性だからという理由で納得できるのかと問えば、「いいのよ。神輿を飾る鳥だって『こういうふう』にすればいいんだから」とマスクチャームを指差した。
「男の人たちは面倒がってこういうものつくらないでしょ? うちでは妹も一緒につくってるんだけど、私たちは楽しいからやってるの」。
政子さんはそう言って、何かを思い出したように「あの、ちょっと持ってきていい?」と席を立った。見せてくれたのは、桐の小箱に入った花のチャームだ。
「私、村田女子高校っていう商業学校を出たんだけど、少し前に校名が変わっちゃったのね。最後の卒業生の記念品は、ものづくりをしている卒業生につくってほしいって連絡をいただいて。それでこれをつくったの」
村田女子高校は古くから女子教育に力を入れた学校だった。政子さんが記念品のモチーフに選んだのは、ノースポールという名の小さな白い花だ。
「ノースポールって真冬に咲くのね。お花が少ない季節に、寒さに耐えて春を待つ花。みんなも卒業したらこれから色々あるけど、春が来ない冬はない。頑張って!っていう応援も込めて」。小箱にも「ファイト!」と言葉を添えた。
令和の今にあっても、いまだ女性は我慢や苦労を強いられがちだ。一見、可憐ではかなげながら、寒さに負けないたくましさを持ったノースポールの姿は、厳しい社会へと出ていく10代の女性たちを勇気づけるだろう。
強固な男性社会である職人の世界で、ある種のしたたかさを持ち、独自のやり方で生き抜いてきた政子さんの姿には説得力がある。その人生から生まれた、渾身のメッセージだ。
「最初はね、鏨の技術で小物をつくることに対して『ああ、そんなのやってんだ』なんて、冷たぁい目で見られることもありましたよ。女性の職人は周りでも私ひとりだけだったし」
そんな周囲の反応も、政子さんがつくる名刺入れ「鏨の息吹」や、マグネット「日本お持ち帰り」などが、次々に「すみだモダン」に選ばれてからは、変化していったという。
「選ばれて2、3年ほど経ったら、そういう人たちも『すみだモダンって、どうやったら応募できるの?』なんて聞いてくるようになってね」と政子さんは笑う。
2010年に「すみだモダン」に認証された名刺入れ「鏨の息吹」は、2020年に「ベストオブすみだモダン」にも選ばれた。これは墨田区の「ものづくりコラボレーション」事業でデザイナーの赤池 学さんと製作した商品だ。
表面には隅田川にちなんだ「波に千鳥」の模様が刻まれる。その重厚な風格からは、約1500年続く鏨技術の伝統を感じずにいられない。
就職祝いや士業の合格祝いなど、おめでたい節目での贈り物としても人気だという。世代を超えて引き継げる品だ。
政子さんは2015年に東京マイスター(東京都優秀技能者)にも選ばれている。「連絡を受けたとき、最初はヤダって言ったのよ」と振り返る。
「技術もそれほどじゃないし、恥ずかしいからヤダって。そしたら東京都の方が、こうやって昔からの仕事を今の商品に落とし込んでいる人はまだいないから、そういう意味のマイスターなんですって教えてくれて。それならばってお受けしたんです」
「技術的にはもっと上手な人がいっぱいいると思うんですよ」と言って謙遜するが、政子さんの仕事は、やっぱり唯一無二だ。
「鏨を打ち始めると、途中で止めずに一気に仕上げるの。だって中断したら、手の感覚が変わって打ち方も違ってきちゃう。ただ、急いで失敗すると最初からやり直しなので、ゆっくり打つ。だから私、あんまり上手じゃないのよ。その代わり、ちょっとでも気に入らないと何度でもやり直し。綺麗にできるまでやる。それっきゃないのよね」
Photo: Kasane Nogawa
Cooperation: Hearst Fujingaho